まぐチェンジ

男、ブログ、日常。何も起きない筈はなく──。

たぶん靴の話。

僕は結構歩くのが好きだ。

ひと駅ふた駅くらいの距離なら、まあ歩くかって感じで歩いてしまう。写真を撮るのも好きなので、スナップというか、まあそんな感じ。

そんなときに気になるのはやっぱり足元、靴。適当な靴を履いてしまうととにかくひどい。

サイズが合わなければ靴擦れするし、適切な重さを選ばないとすぐに疲れてしまう。あと僕は土踏まずが一切ないハイパー扁平足なので、クッション性とかインソールについても気にしなければいけない。扁平のおかげで、基本的にナイキの靴は足に合わないし。カッコイイのに……。

 

書いてて思ったんだけど、靴ってまるで彼氏彼女みたいだね。

性格とか習慣、生活水準が合わなければ摩擦が生まれて喧嘩になるし、重いとか軽いとかも自分に合った重さじゃないと気持ちが疲れちゃうし、見た目だけで選んでも後々苦労するのは自分だ。

その中にはもちろん身体の相性も大事になる。(んだと思う。彼女とセックスなんて贅沢な経験をしたことがないからわからない。)

 

人間、靴もパートナーも自分に合ったのが一番なんだな。

 

 

 

まだ引っ張る「パラサイト」の話 〜無計画編〜

人生、どこで何がどう転がるのかわからない。

僕は仕事を辞める一週間前まで、まさか自分が仕事を辞めるとは思っていなかったし。友だちだって、いつの間にか仕事をやめてフリーターをしながら何かの勉強をしている奴もいれば、いつの間にか人気のyoutuberになってる奴もいる。結婚した奴もいれば、環境の変化で彼女と別れた奴もいる。

気がつけば物凄いウイルスが世界中でパンデミックを引き起こしているし、あんなに人気だったワニは大炎上しているし、いつの間にか無人島に島流しにされた挙句に借金を背負わされたり。

 

まだ熱が冷めないので引っ張らせて欲しいんだけど、『パラサイト』では主人公の父が「計画が失敗しない唯一の手段は、無計画でいる事だ。無計画であれば何が起こっても間違いでは無い。」という言葉を発する。

この考え方は、ある意味一つの正解なんだろうな、と僕も思う。事勿れ、長い物に巻かれる、まあそんな感じ。柔軟と言えば聞こえは良いけど、周囲に流されるまま。これは映画の中だと、豪雨の日に金持ちの家から半地下の家に行くまでの、見ている此方が驚く程階段を降っていく様子で表されていて面白かった。

 

何というか、ここ最近は世の中自体がそんな風な考え方にシフトしている様に感じる。

行き当たりばったりと言うととても悪いことの様に思えるけど、いわゆる悟り世代の僕たちとしては、「将来に期待できないのなら今が楽しければ良いかな」という考え方に近い。刹那的というか、太く短く、みたいな。

 

実際、僕たちの将来は暗い。

年金は貰えないと聞くし、年寄りがたくさんいるからそこにお金を割かなくてはいけないし、かと言って下の世代を増やすほどの余裕も無いし。なんなら今回のコロナウイルスのお陰で、日本が思っていた以上に自転車操業だった事もわかった。

 

僕の周りでは、子どもを作ろう!と考えている人間は少ない。なんなら結婚の予定がある人間も少ない。みんな自分の事にいっぱいいっぱいというか、自分の今が楽しいと、自然と彼女欲しいとは思わなくなる様だ。

少ないお給料を自分の趣味に使う。バイクを買った奴(三週間で事故ってお釈迦になった)、風俗に通う様になった奴(性病に罹って病院行った)、アイドルのライブに突っ込む奴(コロナでだいたい無くなったらしくて号泣してた)、様々だ。将来よりも今を観ているというか、将来がふわっとしすぎているからあまり期待していない。

 

因みに僕の将来の夢はヒモ。女の人に稼いでもらって、代わりに僕は家事をする。

僕は趣味がゲームだから月に一本ソフトを買っても1万円もいかないし、ブランド品にもあまり興味は無いから、コスパはかなりいいと思う。

家事については、一応一人暮らしをしていたから掃除洗濯は好きだし、料理はもっと好きだし、及第点は貰えると思う。

出不精というか、言われなければ進んで外に出ないので、浮気の心配も無し。というかそんなに器用な人間じゃ無いので、そもそも浮気とかできないんだけどね。

 

どうだろう。皆さんのお知り合いの女性で、二十代前半の男をヒモにしたい方がいたらぜひ教えて欲しい。美人ならなお良し。

ご連絡待ってます。

『パラサイト 半地下の家族』

今年の1月といえば、僕がぶっちぎりにブラックな働き方をしていて、慢性的な頭痛に文字通り頭を悩ませていた時期だ。

もちろん映画を見に行く元気などなかったので、鳴り物入りで日本に上陸してきたこの「パラサイト」も、見よう見ようと思いつつ見逃していた。

3月ももう終わるというこのタイミングで、未だに上映している映画館を見つけられたのは運が良かったのか、それだけこの映画が人気だということか。

まあそんな個人的なことはさておき、感想移ろう。

 

『パラサイト 半地下の家族』は非常に良質なエンタメ

この映画は、まるでジェットコースターだ(直喩)。

前半はヒューマンドラマやラブコメディの雰囲気だなあなんて思っていたら、突然サスペンスに姿を変えて急直落下する。いちジャンル、一つの方向性に絞ることなく物語を展開させるのはすごく難しいと思うのだけど、この映画においては一つ一つが分離することなく、それぞれがきちんと融合していた。

内容も、いい意味で裏切られないというか、観客を裏切りたい映画にありがちな、「いやなんでそうなった?」という部分が無く、きちんとレールが繋がっているという意味でも正しく「ジェットコースター」だと感じた。

 

妥協のないリアリティ

内容自体は韓国の貧富の差を風刺的に描いたものだが、何より自分が気に入ったのは、必要以上に露悪的に描写されていない点だ。

主人公ジウの家族は貧しい家族だが、それを殊更に強調していない。なんというか、とにかく「リアル」なのだ。

これは、映画公開時に外回り中の社用車のラジオできいた韓国文化に詳しい方による映画解説なのだが、主人公一家が暮らしている「半地下」の家は、韓国では誰もが「貧困の象徴」として思い浮かべるものらしい。というか韓国は貧富の差が、特に住居に現れる国なのだそうだ。貧乏の象徴と言われても特に思いつかない、生活保護受給者ですらパチンコに行ける日本は、やはり恵まれた国なのだろう。

 

半地下、あるいは全地下の家が生まれた経緯については、Googleで「パラサイト 韓国文化」とでも検索すれば出てくるので調べてほしいのだけど、そういったリアルな部分は、映画自体に説得力を持たせられる。例えば『万引き家族』は、あれはあれで良い映画だったけれど、フィクションみが強かったというか日本人の僕にとっても現実味を感じられない部分があった。

監督が「韓国人でなければ100%楽しめるかはわからない」と言い切るこの映画は、フィクションでありながらリアリティを追求していると言える。好き。

 

映画を形作る数々の対比

この映画には数々の対比が現れる。その中でも個人的にツボだったのは、やはり窓の外の景色だ。

この映画には二種類の窓が登場する。

「半地下の家の窓」と「豪邸の家の窓」だ。

特に「豪邸の家の窓」にまつわる対比表現は、もう最高にキマていたという他ない。あの豪邸の窓は見る人間によって姿を変えるのだ。すごい。

 

主人公ジウや元家政婦の旦那さん、いわゆる「持たざる者」、全地下・半地下の住人から見た「豪邸の家の窓」は光に溢れている。なんだか「それっぽい」音楽をBGMに、とにかく輝いている。

劇中でも「光が降り注いでいるから」というようなセルフがあったはずだ。半地下の住人にとって、あの丘の上に立つ豪邸の窓の景色は地上の象徴であり、生活に困らない、希望の象徴として扱われていたように思う。

 

逆に元々住人のお金持ち一家にとって、あの窓からの景色は日常の一部でしかない。住人の視点に寄ったカメラワークのときには特別な演出は行われていない。

パーティのときに主人公ジウが「窓の外をみながら」「僕は似合っているのかな」とつぶやいたのも良かった。あの場面は庭に特別な演出がされておらず、「あの景色を日常とする僕は似合っているのかな」と自問しているように僕は感じた。すごい。

 

 

 

ところで、逆流しているトイレの上に座り込んで、諦めたみたいにタバコ吸っている妹の画、めちゃくちゃエモくなかった?


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

友人N「俺は結婚なんかしねぇ!」

折角東京から地元に戻ってきているということで、ここのところよく友だちと遊ぶ。なんせ僕は今現在、紛うことなきニートなのだから時間だけは余っている。転職活動って意外と暇。

 

そんなこんなで先日も友人Nと遊んだ。

仕事で使わされているOUTLOOKのハウツー本を探して、コメダでコーヒーとシロノワールをシバいて、二人で初挑戦のシーシャ(水タバコ)の店に入って、一日ふらふらしていた。

 

その中で、幾度となく話題に上がったのが「結婚」。

なんせ僕たちはもう社会人だし、僕は小学校からの知り合いが結婚式を挙げたばかりだし、そこそこ身近な話題になってきた。

 

友人Nは度々、こんな言葉を口にしていた。

「俺は絶対に結婚しない。なんで俺ら真面目に生きてきた男たちが、チャラチャラ過ごして来た奴らのゴミ処理をしなきゃいけないんだ。」

 

なんて過激な言葉だ。因みに、Nの中ではこう。

 

・(特に顔面が良い)女は、若い頃は顔や面白さで男を選んで、遊びまくる。

 ↓

・大人になるにつれ、将来の生活が心配になる。

 ↓

・顔は冴えてなくてもいいから、そこそこお金を稼ぐ男を捕まえる。

 ↓

・今の時代そこそこ安定して稼げるのは、割と限られている。

 

驚くほど偏見に満ちた考え方だけど、僕もあながち間違いではないな、と思った。

なんていうか、僕らはいわゆる「イケてない」グループ所属だ。小中高でモテたわけでもなく、大学時代にウェイウェイすることもなく、誰にも迷惑をかけることなく(そんなことはないかもしれない)過ごしてきた。目指せ雨ニモマケズ

 

そうして真面目にやってきて、最終的に自分のもとにやって来る女は他人のお古なわけだ。

その女の友人は「〇〇も落ち着いたよね」「昔はあんなにやんちゃしてたのに」「良い旦那さん(という名のATM)捕まえたね」と、そんな会話が展開されるわけだ。

 

いや、わかっている。これはもう、女性に対する偏見でしかない。居たかはわからないけど、もし女性がこの記事を読んだら、不快で仕方がないだろう。

そうじゃない女の人はたくさんいるだろうし、被害妄想が強すぎるだろうということはわかってる。人の価値観が年齢とともに変化するということもわかっている。昔は顔が良ければそれで良かったけど、大人になればお金が必要になることも。

 

でも、そうじゃない。簡単にこの認識を捨てられるほど、僕たちはヌルい人生を歩んできたわけではないのだ。

 

小中高はすごかった。顔が良ければ勝ち組だった。

例えば中学校。漸くできた彼女。これからどんなふうに付き合っていこうかな、なんて思っているところに突然ぶつけられる「他に好きな人ができたから別れよう」の言葉。は?(2敗)

そして風のうわさで、(一応)元カノがイケメンと付き合い始めたと耳にする。

 

どうだろう。所詮は顔、となってしまっても仕方がないのでは、と個人的には思っているのだけど。因みにだが、先の2敗のうち片方は土方、もう片方はカラオケのバイトで生活していると聞いている。

 

コンプレックス丸出しかもしれないけれど、いわゆる「草食系男子」はこうして生み出される。

僕の別の友人Oのように運が良ければ、本当に運が良ければ、同じく「草食系女子」と付き合えるかもしれない。が、稀。

 

でも僕ら「イケてない」人間も、報われたいのだ。これまで真面目にやって来た分、贅沢言ってもいいじゃないかと、そう思うのだ。

 

真面目にやって来たんだから、人のお古は嫌だ。でも妥協も嫌だ。じゃあもう結婚しなくていいか。

友人Nの言い分、少しは分かって頂けただろうか。NはNで女性関係で結構苦い思いをしているみたいだし、僕ら陰キャがちょっと贅沢を言っていても、優しくスルーしてほしい。

 

 

ちょっと新しい友だちが生まれた。

めでたい事があった。

久方ぶりのブログ(n回目)でいきなりなんだが、やっぱり嬉しい事はどうしても自慢したくなる。

 

小学校から一緒だった友だちが、何やらブログを始めたみたい。めでたい事とはその事だ。

僕は基本的に他人のブログを読むのが好きだ。別段本業としているわけではないから、暇なときにパラパラ眺める程度だが。

 

ブログはとても良い物だ。書いた人間の個性がはっきりと現れる。

自分の様に覚え書きや日記程度に使う人もいれば、商品紹介をきっちり行って収入を得ている人もいる。

何を書くのも自由だし、何を書かないのも自由だ。

 

僕の様に、匿名で、現実の知人には一切知らせずにブログを書いている人間なんかは、もう本当にお気楽だ。よっぽどでも無ければ、何を書いても現実世界では何も言われない。現実で嫌な事があった時にその捌け口にする事もできる。あくまで程度を弁えていれば、の話だ。僕は現実でもお気楽なので、特に書くことも無いが。僕はアホなのではない、おおらかなのだ。

 

逆に、自分の存在を晒した上でブログを書く人もまた、賢いなと僕は思う。要は「自分はこういう事を考えています」「こういう事をしています」と世間に宣言しながら生活していくのだ。これって要は、現実世界も含めた一つのセルフプロモーションなんだな、とも思うし、自分から退路を断つ事で自分を奮起させているんだな、とも思う。要は有言実行というか、言霊というか。「僕はこういう考えを持っている」と先に設定する事で自分の型を自分で作る、そんなかんじだ。

 

今回の僕の友だちは後者、自分を晒した上でのブログだった。

ブログの中で彼は「自由でいる事」「いずれやりたい事」「どんな人物に自分がなりたいのか」を宣言していた。

 

内容の善し悪しはこの際置いておこう。友だちのスペック的に出来るかどうかも問題ではない。

ブログとして、文字に表して、残した事が大切なのだ。それだけで他者よりも一歩前にいる。

 

今日友達は、有象無象からちょっと光る有象無象にランクアップした。

これからもっと光るのか、消えるのか、はたまた大爆発を起こすのか、それはまだわからないけれど、ちょっと新しい友だちが生まれた、めでたい日だ。

ハッピーバースデイ!

『メリーポピンズ リターンズ』で今更引っかかったこと。

先日のことだ。

仕事をしながら音楽をシャッフル再生していたら、映画『メリーポピンズ リターンズ』の「舞い上がるしかない」が流れてきた。懐かしいなぁ、なんて思い出しながら聴いていたのだけど、ふとリターンズの映画で引っかかた部分があったことも一緒に思い出したので、覚書と「誰か同じことを思った人いないかな」という期待を込めて文字にしておくことにした。

 

引っかかったのは、曲と同じく最後の場面。

これまでの登場人物が、みな思い思いの風船を手に取り、空に浮き上がるという場面。

ここでは本編中であった苦いことを一度忘れ、想像で空も飛べた純粋な頃の心を思い出して楽しく盛り上がる、言ってしまえばハッピーエンドが約束された映画の、ハッピーエンド部分なのだ。

でもここで、一人だけ浮かび上がれない人物がいた。

 

頭取のウェザーオールだ。

彼も風船を受け取るのだけど、風船は彼が持った途端に地面に落ちてしまう。

周りの人達がふわふわと浮かび上がるなか、彼一人取り残されていしまうのだ。

 

たしかに彼は悪役、ヴィランのポジションの人間で、諸悪の根源で、最後にはやっつけられてしまう。

でも、だからといって、一人だけ舞い上がれないのはどうなんだろう。

事実、僕は映画を見ているときに、最後には主人公たちの誰かと言葉を交わすことで純粋な気持ちを思い出して、最後には彼も浮かび上がるんだろうとばかり思っていた。違った。

 

うまく言葉にはできないのだけど、なんか違うじゃん...となった。

メリー・ポピンズって、もっと空想に溢れていて、みんながハッピーな映画の筈だよ。怖い人も悪い人も、みんなひとまとめにハッピーになるのがメリポピだったじゃん。

主人公たちの家を奪い取ろうとしていたウェザーオールは、たしかに悪い人かもしれない。「銀行の利益のため」というと守銭奴に感じてしまうが、不景気の時代に、会社経営だけでなく社員の生活も面倒を見ていたことを考えると、全面的に悪だとは言い切れないと僕は思っている。

しかも最後は仕事をクビになり、いわば今までの重しが全部なくなった状態なのだ。

本人だって最後の方は結構吹っ切れた表情をしていたし、それこそ「舞い上がるしかない」状態ではないだろうか。

 

全体的にゴキゲンだったメリー・ポピンズ リターンズだけに、最後のウェザーオールがしこりとなって仕方がない。